死って怖くなくなる?!

死への恐怖感


それは死を

日々の生活から遠く離れたところに置いているから

昔はもっと身近にあった

ここが現代の根本的な問題


いま我々は

改めて日々の生活の中に

死というものを感じる習慣を持つべき


しかし

普段の生活上で死に触れられるのはどういう時か

なかなか難しい

でも

一つある

それは食事の時


食事の時に

家族同士でその点をどう理解しあっているか

いつも話す必要はない

でも

とても大事


「いただきます」という言葉

この言葉の意味をよくかみしめると

実は同時に死を感じることにもなる


すべての物事には必ず両面性が存在する

男性がいれば女性がいる

右があれば左がある

善があれば悪がある

生があれば死がある

つまり

生の喜びを一番実感できる食事の時こそが

逆にその裏の死も実感できる時でもある


たとえば

生きたモノをさばくことを経験する


「いただきます」とはつまり

その食事対象の「いのち」を頂くということ


この世のすべての生き物は

自身を生かしていくために

必ず「いのち」のやり取りを行う


まずはこのことをよく理解する


------------------------------------


食事は自分自身を充足させ

生の喜びを実感することができる


すると次は

自身の身体に取り込んだ

「いのち」のあったモノに対して

感謝の気持ちが芽生えてくる

「有難い」

「ありがとう」と


すべての「いのち」あるモノは

常に「いのち」のリレーを行いながら生きている

わかりやすい言葉で言えば

それは殺し殺されながら


いま一度


生という行為を行うことは

同時に死という行為を行うということ


だからこそ

その頂ける「いのち」に対して

人は最大限の敬意を払い

「ありがとう」

「いただきます」

と言う


-------------------------------------


そしてもう一つ重要なこと


それは

自分も必ずいつかは死ぬという事実

takeからgiveに立場は変わるということ


ここでも

もう一度


すべての「いのち」は

常に「いのち」のリレーをしている


つまり

これがすべての生き物に与えられた使命


自身の知識や経験を次の世代に伝えていく

これも立派なgive

「いのち」のリレー

そして最期には必ず自身の身体を地球にgive

リレーする


------------------------------------------


この点まで理解が進むと

次は一つ一つの「いのち」に対して

深い愛情が生まれる

愛情は

過去や未来といった

目に見えない存在にも生まれてくる


そして

示された愛情は

その見えないモノの存在を

「感じる」ようにまでなる


「感じる」というのは

「信じる」とは全く異なるもの


科学的に証明しようというのは

そもそも無理だし

必要もない

あくまで主観でよい


これまでの人生における「不思議」な出来事

もしあるなら

その出来事を「不思議」と感じ

更に「有難い」と感じた力こそが

あなたに「感じる力」そのものを

保たせている


もう亡くなってしまったあなたの愛する人が

今もすぐそばにいると「感じる」

それはあなたが「感じる力」をもっているから


今日もあなたが元気で過ごせるのは

その亡くなった方の愛情

そしてその存在を

あなた自身が「感じる」から


「感じる」ことで

生きること

死ぬこと

その両方を知る


それは本当の幸せへのカギ


------------------------------------------


本来

生は生でなく

死も死ではなく

「いのち」とは

永遠にリレーをして繋いでいくもの

常に形を変えながら


そう

すべては諸行無常

すべては諸法無我


そしてその先の涅槃寂静


--------------------------------------------


久方の 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ

紀友則 古今和歌集


--------------------------------------------

山本 海史 Kaiji Yamamoto

サラリーマンでもあり、高野山真言宗僧侶でもあり・・・現在は主に高山を拠点に活動中!

0コメント

  • 1000 / 1000