ブータン紀行① ~異世界の感覚に触れる~

私は今年の3月26日から4月2日までの1週間、櫻池院の住職近藤堯寛師と奥様そして宇都宮大学国際学部の准教授バーバラ・モリソン先生と共にブータン王国へ行ってまいりました。ブータンは私にとって初めての訪問で、今回の最大の目的は第2回ヴァジャラヤーナ・カンファレンス(密教国際会議)に参加させて頂くことでした。この会議は国の機関(The Centre for Bhutan Studies)による主催で、世界33か国から200名を超える密教・顕教・上座部の僧侶や研究者・ジャーナリスト・政治家が参加しておりました。そして、その意義は現代社会においてどのように密教の教えを普及させて社会に貢献していくかというものでした。

以下はその旅で感じた自分自身の感想を、簡単ではありますが述べさせて頂きます。


 ヒマラヤ山脈の中に存在する欧米型民主主義・資本主義と一線を隔す人口約80万人の政教一致の国、ブータン王国。

 私はこの国には何かとても懐かしい感覚を覚えました。それはここに住む人々が日本人とほぼ変わらない顔をしているためなのか、まるで昔の日本の姿を見ているような感じでもありました。

 主催者側が用意して下さったホテルは、主に外国人用であるため浴室・トイレ・暖房・テレビ・Wi-Fi等、さまざまな物が備わっており快適に過ごせましたが、少し離れた農村はもちろんの事、首都ティンプーであっても物資や社会インフラはまだまだ十分に整っていない模様でした。ただ、そのような環境であっても医療費・教育費が無料という充実した国の福祉政策があるためか、私が見た限り人々は総じて明るくそして慎ましやかに生活が出来ているようでした。

 政府は現在、GNH(国民総幸福量)という国民の幸福度を測る尺度を国家運営の柱に据えています。この尺度は、世界のほぼすべての国が目標とする経済発展一辺倒とした幸せのあり方に一石を投じ、本来あるべき精神的な幸福感を追求したものです。まず初めはこのGNHに絡めて「ブータン人にとっての幸福のあり方」について述べてまいりたいと思います。

 ブータンにおける人々の生活に、信仰は必要不可欠なものとして考えられています。ただ、この信仰感は外部文化からの強制的ないしは侵略的な影響というよりは、昔からの伝統文化として培われた自然なものと感じられます。

 その信仰形態はまず仏教の考えがあり、且つそこに仏教以前の自然信仰を中心としたアニミズム的要素がベースとして絡んでいるようです。この感覚は神道を中心とした日本の土着信仰感と通ずるものがあるように思われます。

 ブータンの仏教はチベット仏教です。このチベット仏教は6~8世紀にインドで生まれた密教を中心にしており、ブータンには7~8世紀に伝わりました。その中でも最も重要な役割を果たすのが後期密教(タントリズム)で、男根信仰に象徴されるように性に対しての考え方が、生命を生み出すエネルギーとして非常にポジティブに捉えられています。ちなみに僧侶も一部の派では日本と同様に妻帯が許されています。

 ブータンの人々にとって、チベット仏教の考え方は生活すべての基本となっています。彼らはこのチベット仏教を仏陀の教えが正当に継承されたものとして捉えているようです。本来、定説としてはテーラヴァーダ仏教(上座部)が仏陀の教えに最も近いと言われていますが、伝統をベースとする信仰が生活の中心であるブータンの人々にとっては、どうやら上座部側の見解はあまり関係ないようです。

 一般の人々の日常的な信仰生活において大事なものがいくつかあります。マニ車はその代表例です。ブータン国内のお寺や街中に設置されている円筒状もので、内部には経文が書かれた紙がセットされていて、それを1回まわすことによってそのお経を1回読んだこと、または徳を積んだことになるというものです。「Om Mani Padme Hum(オン マニパドマ ウン)」という真言を唱えながらマニ車をまわしている方をたびたび見かけました。

 もう一つはダルシンです。ブータンの風景の中でヒラヒラと丘の上ではためくその姿も非常に印象的です。ダルシンとは高さ5メートルにもなる縦長の布地に細かい字でびっしりと経文が書かれているもので、基本的に数十本がまとまって立てられています。本来、ダルシンは人が亡くなった時にその遺灰の一部を撒いた場所に108本立てることで供養とするもので、「風で経文がはためくたびに祈りが風に乗って」という意味が込められています。現在は環境保全のため1人あたりで使える新しいダルシン用の木は27本までと制限されていますが、その伝統は失われず各地で守られています。

 現在、ブータンにおいても経済発展はとても重要な要素のようです。首都ティンプー及びその近郊では建設ラッシュが続いております。車の往来も非常に多く、そしてスマートフォンの普及も急激に進んでいます。ちなみに僧侶もほとんどの方が持っていました。ブータンは現実的な経済を中心とした尺度で見てみると、今まさに発展の真最中と言える地域ではないかと思います。

 経済発展の話で一点、地元の人から興味深いお話がありました。ブータンはもともと肥沃でない土地でもあったので、殊に農業面において農法や収穫量に問題が多々あったようですが、約50年前から数十年かけて日本人の西岡京治さんという方がその農法を伝えたことによってブータン農業が大きく改革されたという経緯があったようです。通りすがりの露店で見た大量のリンゴやお祭りにてリンゴジュースを飲む子供たちの様子から、私はなぜリンゴがこんなに豊富にあるのかという質問をさせて頂いたところ、その日本人の方が最初の種を持ってこられたのですよということでこのお話を頂きました。

 しかしながら、そのような経済発展中の環境であっても政府は政教一致の考えのもと、真剣にGNH政策を進めようとしています。これからのブータン人にとって、幸福尺度はどのように変化していくのか。伝統文化の継承を中心に据えつつも、物の豊かさを中心とした尺度が流入している現状を見ると、私には最終的に仏教が本来目指すところのモノの中庸に焦点を置かざるを得ないように思えます。それが「ブータン人にとっての幸福のあり方」における最大の課題点と私は感じました。ただ、鳥が引っかからないようにとすべての電線を地下に埋めてしまう工夫。野良犬たちが全く人を恐れずむしろ人懐っこくしている点。牛のエサは人間と同じように温めて与えている心配り。交差点では信号機をあえて作らず横断歩道を盛り上げて車のスピードを落とさせる工夫等、動植物の生態系や地球環境への人々の優しい配慮が見られる限りにおいて、そしてブータン国王や国内に一人しかいないという大僧正が常に人々の尊崇の念を集めている限りにおいて、この国自体を未来へ継承するにあたっての明るい材料は十分に備わっているとも感じました。

 余談ですが、会議終了翌日にブータン最大のお祭りの一つであるツェチュ祭を見に行った際、ブータン国王陛下に偶然お会いしお声までかけて頂きました。この会議を催してくださったことへの感謝の念は決して忘れることはできません。

山本 海史 Kaiji Yamamoto

サラリーマンでもあり、高野山真言宗僧侶でもあり・・・現在は主に高山を拠点に活動中!

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